【劇評】「あの、愛の一群たち」 箕輪町文化センター付属劇団 歩

 

 

舞台は、中央に階段がある古びた郷土資料館のロビーが作り込まれている。

左右に布の垂れが落ち、灯りにより異なる場所を表す。

 

劇団歩の俳優だけでなく、伊那地区の手練れた俳優たちが集まった舞台だ。

伊那地区は、中央からプロを招いてワークショップを行い演劇のすそ野を広げてきた歴史がある。

その中で鍛えられた俳優を松本で観られたのはうれしい。

 

ストーリーは、ある日本海沿岸の町にある郷土資料館の中で進む。

精神を病み、夫に会いたいと言い続ける妹。

彼女に合わせて居もしない妹の夫を作りだし、芝居を続ける姉。

そしてその姉の夫であり、館長となのる男。

たまたま、帰郷し資料館に見学に入っただけの主人公ふねは、彼らに巻きこまれ、自身の弟が妹の夫であるというでたらめを押し付けられそうになる。

しかし彼女の弟はすでに死んでいた。

 

古い映画『何がジェーンに起ったか?』(ロバート・アルドリッチ監督1962年)を思い起こされる。

古いお屋敷で狂気の妹に支配される姉という話であり、二人の過去の事件が狂気の源泉だとされるのも同じ構造。

絶滅しかけた朱鷺とそれを保護しようという団体が絡んで、一層話は複雑になるが、整理すると10年前、朱鷺を見ようと崖に降りる男の子を止めた妹とせかした姉。

しかしその男の子は雪崩に巻き込まれて死んでしまう。

この事件に怒った村人が姉妹を糾弾し、郷土資料館の倉庫への放火騒ぎになる。

ところが風向きが変わり街が焼けてしまった。

この一連の顛末を苦に姉妹は資料館に引きこもり妹の狂気は発症した。

姉も妹への愛から妹に虚言を続け共に狂気を共有しようとしている。

 

二重、三重に真実と嘘が入れ替わる構造が話を複雑化している。

それには理由があると思うのだが、「人の語る真実こそ疑わしい」などという古めかしい命題が本筋とも思われない。

 

この脚本が書かれたのが1980年。

しかしこの公演では60年代を背景にしているという。

安保や体制への反抗が活発化していた時代だ。この物語には体制や社会批判は一切出てこない。

出てくるのは、各自の内省と現況の息苦しさだ。

人々はその中で生き続けなければならないという苦悶が感じられる。

 

だがこの古い作品を現代に“わざわざ”公演する理由はなんだろうと考えてしまった。

 

演劇事情で言えば、この作品が書かれた翌年に小劇場演劇の雄「第三舞台」が立ち上がっている。

時代は変わっていくのだ。

自分たちを取り残し時代は変わる。

作家はそんな不安をこの作品に託したのだろうか?

 

するとこの劇団がこの作品を現代に取り上げる本当の理由は?

取り残される自分たちへの悲哀だろうか?

 

それとも「そんなはずはない」ともがく演劇そのものだろうか?

 

途中で何回か乱入してくる「鼓笛隊」が街に渦巻く、怨嗟や報復の念を表しているのに対し、

同じく乱入してくる「オッカブリの女衆」は、忘却と祈りを表している風でもある。

 

終演後に、いかにも楽し気に、勇壮に太鼓連の演奏があるのだが、これには正直戸惑ってしまった。

決して愉快でも明るくもない作品のイメージと全く異なる「太鼓演奏タイム」がどうしても肌に合わないと感じてしまった。

 

主催の飯島岱氏は、齢70を過ぎても活発だ。

今後もますますの活躍を期待したい。

 

(ピカデリーホール客席より)

 

【作品名】あの、愛の一群たち

【劇団名】箕輪町文化センター付属劇団 歩

【上演日】2016年2月6・7日

【作】 清水邦夫

【演出】 飯島岱

【キャスト】 上田信子(芝居の会)、伊東初絵、富田絵実(劇団伊那舞台)、藤田浩史、山浦孝予(劇団伊那舞台)、白鳥沙織、城倉裕美(劇団伊那舞台)

【女衆】斧研雅、中森道子、朝倉理恵、倉田茜

【鼓笛隊】伊藤一馬、藤井克己、唐木則宏、澤田雄大、前原元、北原永

【上演時間】 休憩含み約2時間半

 

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