劇団「幻想劇場◎経帷子」 廣田謙一

 

ここでは、松本で舞台活動をされている方々に焦点をあて、創作・表現についての思いや、活動内容の紹介をしていきます。

今回は松本で活動する劇団「幻想劇場◎経帷子」の主宰者である廣田謙一氏にお話を聞きました。

廣田氏はまつもと演劇連合会に所属し、劇団の作・演出を手掛ける傍ら、「まつもと演劇祭」や、演劇初心者対象の「ぴかぴか芝居塾」の運営にも携わる。

また照明効果にも造詣が深く、演劇裏方集団を組織したり、照明ワークショップを主宰するなど松本の演劇界の発展に尽力している。

田園に死す(2003)
田園に死す(2003)
― 演劇と関わる起点となったのは?

 

東京での学生時代には映画を撮ったりもしていました。友人の誘いで大学の演劇サークルの小劇場演劇や、「劇団唐組」「新宿梁山泊」などのテント芝居を観に行き、それまで認識していた演劇とは次元の違うアングラや小劇場ならではの表現方法に大変ショックを受けました。

ただ私自身はパンクロック、ヘビーメタルなどの音楽活動をするバンド青年でした。

大学卒業後、就職を機に故郷の松本に戻り、変わらずバンド活動を続けていました。

そんな中、第2回松本現代演劇フェスティバルを観て血が騒ぎました。

すぐに仲間を集め、1993年劇団モノリスを旗揚げしました。

素人ばかりながら創作演劇の世界に引き込まれていきました。

犬神(2005)
犬神(2005)
 ― 2000年に旗揚げ。劇団「幻想劇場◎経帷子」について教えてください。

 

現在は、15人。若い人で17歳から社会人まで多彩な顔ぶれです。

「ぴかぴか芝居塾」に参加していた人たちが加わったり、他の劇団からの客演などで活動しています。

芝居をする目的は皆それぞれだと思いますが、基本的なスタンスは、日常的な表現手段の場として演劇があるということだけです。

お金を戴く以上アマチュアとは思っていませんし、真剣に芝居に向き合っています。

ただし、劇団を大きくしたいとか売れたいとかではなく、例えば社会人で音楽活動をする方や、絵を描く方などと同じ、ごく自然な自分たちの創作表現活動です。

名前の由来は、昔やっていたパンクロックのバンド名が「一家心中」(笑)。

そのインディーズレーベルの名前が「経帷子レコード」といいました。

箱庭迷宮(2012)
箱庭迷宮(2012)
― 今回のまつもと演劇祭「蛍の棲む水」について聞かせてください。

 

今回の題材は初めてのノンフィクション。

実際に起こった横田めぐみさんの拉致事件がモチーフでした。

基本的に芝居はエンターテイメントだと思っているので、どんな題材であれ、泣けて笑えて楽しめるものを作りたい。

今回も滑稽なキャラクターや笑えるシーンを入れてる関係で、一部の方から「軽く扱うな」という批判もありました。

ただ大多数の方にはテーマをしっかり受け止めていただいたと思います。

二度三度と観ていただく方もいて、多くの方から賞賛の声をいただきました。

 

牡丹灯籠哀歌(2013)
牡丹灯籠哀歌(2013)
― 廣田さんの目指す演劇のスタイルとは?

 

 いろいろありますが、その一つには小劇場ならではの空間の見せ方、使い方に工夫している点でしょうか。

例えば照明効果として、スモークを焚いて舞台奥から逆光にし、空間に無限の広がりを作り出したり、余計なものに光を当てないことで、観客の意識から役者以外を排除したり。光を区切ることや役者の目線で、別々の場所にいることを表すこともできます。

役者の表現力、照明、音響により舞台上にどんなシチュエーションも再現できる、それが、小劇場の魅力です。

演劇は、光、音、役者、三位一体となって表現する総合芸術だと考えています。

 

― 松本を演劇の街として、さらに盛り上げるアイデアなどはおありですか?

 

やはり「まつもと演劇祭」を毎年開催し、その規模を膨らませていきたいです。

そして演劇人育成のため「ぴかぴか芝居塾」を一年でも長く続け、松本の演劇人口を増やし、市民の関心度が上がっていくこと望んでいます。

田園に死す終演後、客演の元演劇実験室◎天井桟敷(現演劇実験室カフェシアター)の中沢清さんと。ピカデリーホールロビーにて。
田園に死す終演後、客演の元演劇実験室◎天井桟敷(現演劇実験室カフェシアター)の中沢清さんと。ピカデリーホールロビーにて。
― 廣田さんにとって、ピカデリーホールとはどのような存在ですか?

 

私のみならず、松本演劇界のホームグランドであり、コミュニティになっています。

とても使いやすく自由度が高いし、雰囲気もあります。

ただ老朽化は否めず、設備として危険な箇所もたくさんあるので、引き続き保全にも尽力したいです。

このホールを知り尽くす私たち「まつもと演劇連合会」やピカデリーホール関係者で作る公認裏方スタッフのような存在が必要かもしれません。

この街で育ち、このホールで映画を観て育ちました。演劇人として自分のルーツのような所です。

今もここが自分の活動拠点となっていることに巡り合わせを感じます。

このホールで育った自分たちがここを愛しているように、今の若い人たちにもこのホールを活用し、青春を過ごし、永く親しんでもらえればと思います。

 

(2015年12月14日 ピカデリーホール)

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