ピカデリーホール支配人 堀内 博

 

ここでは、松本で舞台活動をされている方々に焦点をあて、創作・表現についての思いや、活動内容の紹介をしていきます。

今回は当劇場の支配人であり、劇団「うたかた」の演出者である堀内博氏に、ご自身の演劇観と、ピカデリーホールについて話を聞きました。

horiuchi_image

堀内氏はまつもと演劇祭の企画運営にも携わり、かつては「大人の為の芝居塾」の講師を務めるなど、豊富な舞台経験を生かし、幅広く活動しています。

本題に入る前に、同氏の経歴を簡単に紹介します。

 

 

1938年生まれ。

高校時代に見た信州大学文理学部演劇部の舞台がきっかけで同校へ入学。劇団山脈に所属する。

59年、本格的に芝居を勉強するため上京し、舞台芸術学院へ。

3年間、演劇を学んだのち、当時、俳優座や文学座と並び新劇5大劇団に数えられる「夕鶴」で有名な山本安英の「劇団ぶどうの会」に入団する。

若手劇団員として勉強を続けたが、入団2年目で劇団は解散してしまう。

 

それを機に堀内氏は「ぶどうの会」の若手演出家や劇団員と「演劇集団変身」を立ち上げる。

「変身」は、それまでのヨーロッパ流のリアリズム演劇である「新劇」とは違う、役者自身の肉体表現力に重きを置いた、のちに「アングラ系」と呼ばれる前衛的な演劇のさきがけであった。

代々木小劇場で実験的な芝居を毎月一回公演するなど、「状況劇場」、「劇団赤テント」、「早稲田小劇場」などと並び、当時のアングラ演劇界を代表する劇団となる。

以後7年間、若き堀内氏は全力で演劇に情熱を注ぎ、舞台活動に没頭。

やがて主宰者が病気になり、「変身」は解散を余儀なくされる。

 

活動の場を求め、舞台芸術学院時代の同期生が主宰していた「劇工房 燐」に加入。

引き続き、代々木小劇場(パオ)を拠点とする。

以後32年間、堀内氏は「燐」の中心メンバーとして舞台活動を続け、1987年より「まつもと現代演劇フェスティバル」に参加。

演劇祭実行委員の要請で、2006年 ピカデリーホールの支配人に就任することになった。

 

 

―堀内さんが情熱を注いできた当時の演劇とは、どういうものだったのでしょうか?

 

新劇からアングラ、小劇場系へ

 

「ぶどうの会」のころは、シェークスピアやモリエールなどのヨーロッパ戯曲を中心とした、起承転結のある新劇しかありませんでした。

そいった芝居のアンチテーゼとして、ベケットの「ゴドーを待ちながら」に代表される不条理劇が日本に持ち込まれました。

もっと役者の身体、演技表現力を前面にだし、新劇とは異なる世界観の演劇が出てきました。

それまでのドラマ主義から変化を求めていた若い演出家や役者は、戯曲よりも自身の表現力を主体にした演劇に傾倒していきました。

その流れは若い世代の主流となり、アングラ、小劇場系演劇と呼ばれ、今の多くの演劇はその系譜を継いでいます。

 

2年間、毎月公演―

 

「変身」の初期には毎月公演というのを行いました。複数チームによるローテーションとはいえ、若いエネルギーに任せて、役者も演出家も全力で舞台に向き合い、他より面白いモノ、斬新なモノを創ろうと必死でした。今思えば若気の至りで、恥ずかしいことをたくさんしました。

他の劇団の芝居にも足しげく通い、力のある役者を客演で招いたり、毎晩仲間と演劇論をしながら酒を飲んだり、まさに芝居に明け暮れた青春時代でした。

horiuchi_01

―当時と、今の演劇界とは何が一番の違いですか?

 

昔と違い、今は「劇団」というものの力が弱くなってしまいました。

アメリカ流のプロデューサーシステムが主流となり、劇団という枠組みではなく、その公演ごとに演出家、役者を集める、一回限りの公演ですので、役者を育てていくということが手薄になりがちです。

本来、力のある役者はどんな役にもなりきれるし、見る側もその変化を楽しめる。

そういう、客も役者も一緒になって舞台を創っていくという感覚がなくなってしまいました。

 

horiuchi_02
―役者や、演出家の価値観も変わってきたと思いますが

 

時代が違うと言えばそれまでですが、私たちの頃は「倒すべき対象」が明確にあったという事が言えますね。

それまでの新劇、戯曲主義のドラマツルギーと相対する新しい演劇思想を創りたいという目的が当時の若い演劇人にはありました。

今はそもそも、そのようなオーソドックスな既成概念がありません。サブカルチャーの影響で、あまりにも価値観や表現方法が多種多様。自由すぎて逆に考え方が拡散してしまっている「弱さ」を感じます。

絶対的な比較対象が無いので、自分の位置がわからなくなっている、そんなイメージですね。

逆に同じ演劇人として、芝居に対する情熱、真摯に向き合う姿勢は、今も昔も変わらないですね。皆さん、すごく頑張っています

 

 ―松本の演劇人にとって、ピカデリーホールとはどのような存在ですか?

 

これはもう絶対的、不可欠なものです。

このように使いやすく、趣も歴史もある劇場が松本にあり、地域のアマチュア劇団にも広く開かれているというのは奇跡的な事です。

一演劇人として、この劇場が存続していることに心から感謝し、誇りに思います。

松本で活動する他の劇団関係者、劇場関係者も同じ意見でしょうね。

 

堀内氏が主宰、演出を手掛ける「劇団うたかた」の舞台シーン

堀内氏が主宰、演出を手掛ける「劇団うたかた」の舞台シーン

 ―松本を演劇の街として、さらに盛り上げるアイデアなどはおありですか?

 

今の松本の演劇は客に対して表現の場はあるが、アフターケアの機会に乏しい。

やったらやりっぱなしではなく、きちんと批評の場を設けるべきです。

それにより、表現者と見る人とで価値観を共有できたり、差異を感じることができます。

演劇評論誌のようなもので、演劇、芸術活動を軸にした情報発信、コミュニティを形成できれば、より多くの市民に興味をもってもらえると思います。

これは、ほんの一例です。実行可能かどうかはさて置き、たくさんのアイデアがあります。

座談会のようなもので、市民、演劇人問わず、さまざまな人から幅広く意見を募り、ディスカッションする場を設けると面白いですね。

(つづく)

Bookmark the permalink.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です